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桜島 - 桜島に逢いに行く -

 







夏樹良写真展 
2021.9.5~

桜島
- 桜島に逢いに行く -

 夕刻を過ぎ、18時間、約1400kmの長い走行を終え、九州道を降りて、鹿児島市を山側から、港に向かって走っていると、港に向かう坂道が開けたところで、突然、桜島のシルエットが車を運転する私の眼前に浮かびあがった。桜島は既に日が落ちた後の残光を背に、その輪郭に光を帯び、影となった桜島が、確かに私の前方に、鎮座していた。



 その桜島に向かって、私は、「来たよ。」と心で呼びかけた。すると、腹の座ったような低い声で、確かに「来たのか。」と桜島が答える声が聞こえたのである。すると、私の魂だか、心の堰が開放されてしまったのか、涙が溢れ出てきて止まらない。感涙なのか、なんの涙なのかわからないまま、ポロポロ流れ出る涙を拭いもせず、車を宿泊先へと走らせた。これが私と桜島との対面である。 







 溢れ出す涙が止まらないまでの私の桜島への思い入れというのは、いったいどうして起こったのか、自己洞察すると、その理由がないわけではない。それはまず第一に、「桜島フェリー」である。千葉〜川崎フェリーはかなり気に入っていて、よく利用した。そして、青森〜函館、小樽〜新潟。そして、柏崎〜佐渡。このフェリーってやつは、愛車ごと乗船でき、海を渡り、到着地で自分の車で走れるという魅力がある。それで、この次は、桜島フェリーだなと思っていた。距離が遠いためか、思い立って、実行するまでに、時間がかかって、思いが蓄積していったのかもしれない。











 第二に長節剛の「錦江湾に陽が沈み 海が赤く血の色に燃え始める 照り返す雲は 紫に染まり とんがったまんまでもくもくと息をしている 俺は桟橋から 桜島フェリーに乗り•••」で始まる「桜島」という歌である。この歌を聴きながら、より思いが募ったということであるのだろう。


 第三に桜島そのものである。その形態は、よく見慣れた長野にある浅間山に似ていて、その浅間山より、力強く噴煙を上げる。そして、富士のような広大な裾野を持ち安定した美しさではなく、あたかも山が座り込んでいるような形態で、雄々しく野生的である。





 第四にその薩摩のシンボルである桜島は、無意識にも薩摩の勇士、西郷隆盛と重ならざるを得ないということであろう。




 西郷については、多くを語る必要はないと思うが、政権を朝廷に返し、官軍として幕府側の勢力と戦い、江戸時代を終わらせる。徳川の幕臣は、徳川幕府の継続と徳川の威厳と威信を守るため、薩長の官軍は、徳川の時代を終わらせて、理想的な新政府を起こすために、双方、侍として、武士として、立派にその仕事を全うしたと思うのである。どちらが正しいとiいうことではなくて、今はただそう思うのである。双方、立派であったと。新政府が起こり、やがて廃刀令や俸禄廃止等に反発する士族の反乱が起こると西郷は、九州地方の士族反乱の盟主として西南戦争を起こして、大日本帝国陸軍を相手に戦うこととなる。激戦の末に敗れて、自刃して薩摩武士として、その一生を終わる。その内乱が我が国における最後の内戦ということになるのである。しかし、西郷死すとも、武士の魂は死せず、その精神と魂は、第二次世界大戦終焉まで、我が国に生き続けるのである。その西郷の魂が、今なお噴煙を天高くあげて燃え続ける桜島に宿っているような気がするのである。そして、桜島は我が国に長い武士、士族の世があったことの証であるかのように存在しているような気さえしてくるのである。




  何故、江戸から遠く離れた、ある意味田舎武士がそのような思想を持ち、また行動に出られたのかという考えを持つ人もいるようだが、江戸から離れた外様であるからこそ、「尊王攘夷」に目覚め、また、その地で早くから西欧の武器を目にして、手に取ることがあって、戦艦を目の当たりにして、このままで、我が国は大丈夫なのか、外敵に対して、太刀打ちできる新しい国を作らなければならないという思いと危機感が、倒幕に繋がってゆくのだと思う。

 新政府が起こり、明治の世になって、我が国にも帝国主義の波が押し寄せ、我が国はアジアへと進出し、やがて大日本帝国軍は、大東亜共栄圏建設という大義名分のもと、アジア諸国を侵略していく。私はこの時期の日本に関して、「帝国主義」と「他国侵略」という点で、嫌悪感を持っていたし、また、罪悪感さえ感じていた。世界のファシズムの波に飲み込まれていたとしても、できれば、するべきではなかったと。しかし、今は、こう思うこともあるのである。その日本帝国軍に我が国の武士の精神、魂が息づいていたとするならば、それは、我が国の統制下になった国々は、少なくとも、人種差別から始まる列強の支配下におかれるよりよかったのではないかと。あくまで他国侵略ということを恨みながらも、そう思うこともあるのである。

 




( 書かないでおいた第五の理由がある。それは、母の世話をして過ごした10年の月日である。そして、その末に母を失った深い悲しみである。自制していたその思いと感情が深層心理にあって私自身に内在していて、桜島を前にして、その堰が崩れ、いっきに溢れ出し、無言の号泣となったのかもしれない。)



  桜島に目にした時の号泣に関する、長い自己洞察、考察となったけれども、これが、私にとっての桜島であるのだと思う。私はその桜島を目指して、車を走らせて、ひたすら日本列島を南下し、会いに来たというわけである。























 私は「桜島」とその山を特に総称で呼んでいるが、この島の山は御岳と言い、火口のある北岳と、中岳、南岳からなる。火口のある北岳が最高峰で、御岳として南北に並び、桜島の大部分を構成するのである。


 そして、1914年の大正噴火で、溶岩流が南東側の海上に伸び、桜島と大隅半島が陸続きになったのである。そう、その時から桜島は実は、陸続きなのである。
























 桜島の名前の由来は、次の三説がある。

 

① 島内に木花咲耶姫命を祀る五社大明神があり、咲耶島(サクヤジマ)と呼んでいたが、転訛して、桜島(サクラジマ)となった。

②10世紀に大隅守を勤めた桜島忠信の名に由来する。 

③噴火により海面に桜の花が浮かんで桜島ができたという伝説に由来する。


 尚、桜島の名称が初めて文献に現れるのは、僧以安の1512年「西藩儒林伝」に記されている漢詩であるとされている。「櫻島回首見雪花(櫻島に首を回して見ると雪花が見える)」とあり、その時には、既に桜島と呼ばれていたということになると思う。







 遥々、思い焦がれた桜島に車を走らせて会いに来て、一日中、島の様々な角度から、桜島を見ていた。車に乗り、常に桜島を意識しながら島を走っていると、それは、まるで桜島が助手席に座っているようなものであった。陽が落ちてからも、私には桜島が見えていた。床について、目を閉じてからも、桜島の存在を感じていた。













さようなら
桜島


また逢う日まで










花は霧島

煙草は国分

燃えて上がるは

オハラハー桜島










桜島には

霞がかかる

私ゃ貴方に

オハラハー気がかかる














この地去っても

夢路に通う

磯の浜風

オハラハー桜島






All photos
by
Ryo Natsuki




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